忍者ブログ
Admin*Write*Comment
甘いお茶
[411]  [410]  [409]  [408]  [407]  [406]  [405]  [404]  [403]  [402]  [401
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

たまには時事問題風な話でも。
いやいや、ただの私の体験談だ。

中学校のいじめ問題の話。

私はいじめられたこともあればいじめたこともある。

まずはいじめられた事から。

通った学校は私立の女子校で中高一貫を謳う学園だった。
私は中学一年の時、学年、全教員からのいじめにあっている。
性格的に問題があったのであれば、私が天然すぎてみんなとまったくもって会話がかみ合わないほどだった事だろう。
それはそれでも、かみ合わないなりにも中にはかみ合うのもいたので困らなかったのだが。
事のきっかけは入学直後の体力測定。
持久走でスタートしてみんなが一周したとき、私は半周しか走れていなかった。
それを体育教師が拡声器を使って罵った。
それだけだ。

物がなくなる金が盗まれる、教科書が引き裂かれノートは焼却炉で燻っていた。
そのことで担任に相談しても特に反応無く、悔しかったら反撃すれば?
と。
物を盗まれ捨てられるのは隙があるからだと。
なるほど、そういう解釈がなされる学校なのか。あと5年、ヤバいな。
正直な感想だった。

悶々として過ごしていたが、いよいよ親が私の様子に気付いたのは夏休み明け。
宿題をまったくしていなかった事。
出来るわけねーだろー。
教科書は自力でどうにか買ったり貰ったり(食堂で知り合った先輩とかに)したし、虎の巻買ってくれば何とかなるが、要点として出されていた教師が大好きなポイントってのはノートが無けりゃ分からないんだから。

で、ここの学校、夏休みの宿題が出来なかったらペナルティを課すのが伝統らしい。
しかもその宿題が出来なかった連中というのは学内でさらし者にされ、挙句親を呼び出して親子ともども嫌味を聞かされるのが、どうやら決まりだったようだ。

これが私の父親の逆鱗に触れ、なんて学校だ!
と怒り狂うものの、ギリギリのレベルで入った学校だったのもあり、私の頭でこれだけの勉強をやれといわれるのも困る話だった。
なので宿題が出来なかったことに関しては父から叱責を受けることは無く済んだのだが。
母が、どうやら私が学校に不満を持っていると気付いたのと、その後事あるごとに呼び出されて行ってみると、どう客観的に冷静に見ても、私が学年と教師に辛烈な言動で接触されていると思ったのがきっかけだった。

私はいつも言う事は言うし、気に入らなければ改善されない限り断固暴れ続けるという性格は幼少の頃から変わりは無い。
しかし。
さすがにこの状態では私もなす術もなく。
まぁ、ふてくされて無気力な中学一年生だった。
ちなみに私と親しくしていたせいでとばっちりを受けた子ももちろん居る。
一人は一緒に耐えてくれ。
一人は休学して留年した。

いじめの事実を知った父が、私に問うた事があった。
担任に相談はしたのかと。
もちろんした事を私は報告した。
どのような答えを得たかも一緒に。

そしてその後父が学校行事に母を連れて参加するようになった。
母が言うには、全教師に土下座させてことわりを言わせてやる!
と低く呟いたそうだ。
教員たちの態度はこの後急変した。
私にとって親が学校に出しゃばるのは、教員からのいじめは回避されるものの、生徒間のいじめはエスカレートするばかりで。
それはそれで悲惨だった。
しかし学年もまもなく終わる頃、ついに教室で怒鳴りあう大喧嘩をし、授業中もはばからずおんおん泣き続けたのがあり、担任は無視するにできなくなった。
進級で二年にあがったとき、私をいじめていたメインの生徒とはクラスが変わった。
他のクラスなどでも絡んできていた連中を筆頭に主犯格の生徒がバラバラにクラス編成されていた。
もしかすれば、私以外にもいじめをうけていたのが居ても不思議ではないが。
余談だが、入学当初一クラス63人だったが、二年生に進級したときの名簿では一クラス36人までなっていた。

二年になってからも、いじめてやろうと接触してきたのが居たが、私はガンとしてひどく突っぱねたのを周囲が見、予想以上の態度だったのかそれ以降は何かの噂が流れたのか。
いじめは「ぴたり」と音を立てて止んだ。
地獄はとりあえず終息にむかった。
一年次のいじめの主犯格メンバーは、この後卒業まで一切クラスが重ならなかった。

それと同時に、学内問題児殿堂入りもしていたようだ。
と、言うのは。
こう6年も同じ環境下に過ごすとなると必然的に派閥が出来るのだ。
その代表格やグループというのがやはりいくつかあり。
要チェック生徒というのが必ず現れるのだ。
私はまず教員全員からいじめられた時点で問題児なので否定しない。
それ以外にも、グループとしてはなぜか私とともに過ごす連中が現れてきて。
教員たちには悪い印象を持たれるグループにはなっていなかったが、正直分類されているのはいい気分ではなかった。

さて、いじめた体験を話そうかと。
いじめた相手のベース情報として同業家業同系列職の子だった。
大変申し訳ないが、私のウチと彼女のウチでは規模が違う。
その事が彼女の何を刺激したのか。
高校に進級してから彼女が私の中傷を流し始めた。
やれ金遣いが荒いだとか、持ち物が派手だとか。
まぁ、甘んじてその内容を真実としてもだ。非常に腹立たしいが。
彼女にそのことで悪口を言われたり、害があったりもないし、まして同業である事で諍いが起きたこともない。
要するに僻みや妬みで食いついてきただけらしい。
彼女はもちろん中学から入学していて、高校からの子ではないから私が学内でどういうポジションに居るかは知っていたはず。

高校で私の生徒間での使われ方というのは。
「仲裁の女王」
私が入ると事が丸くなるという面白い性質を持っていた。
まぁ、上記通り、私と何かあるとどういう事になるかは中学での事件で周知の通りだったから。
そういうのもあり、やっかみで言い出した可能性は高い。

私ははじめは聞き及んでも無視していた。
しかし、クラスメイトを筆頭に他のクラスの子などまでが何か酷いこと言ってるけど、何も言わなくて平気なの? とかどうとかおせっかいを言い出すのも居るわけで。
やはり半年でも聞き捨てていただろうか。
どうにもこうにも。
私に直に言わずに汚いやつだなぁと思い始めて、学校の事件の起きる場所デフォルト、下駄箱前で胸ぐらつかんで問い詰めた。
私に何か文句があるなら、出来ることなら治すわよ? 言いたいことがあったら正々堂々と目の前で言って頂戴。
もちろん、人がいるところで私はする。ここが私の嫌味な所(笑)
証人の居るところでしないと、後で私が必要としない尾鰭付くでしょ。
このことで人に見られて付いてくる尾鰭というのは私にとっては計算済み。
この問い詰めたことより、彼女は自分の妬みであることを認め謝罪の言葉を発した。
行動を起こして終息までの期間。
一日。

がしかし。
二年に進級してから。
彼女は再び私の中傷の言葉を発し始めた。
どういう事か、他にも言いたければもっと身近にイロイロ居るだろうに。
しかも同じクラスになっているというのに。
二年では同時進行のトラブル?で、彼女のことを真に受けて聞いていたグレている4人組が居た。
このグレていた連中との戦争が始まり、戦場は彼女になった。
その後グレている連中は高額万引きで捕まって数ヶ月の停学を余儀なくされて勝手に自滅。しかもその後の私の行動を見ていて自然と引いていった。なので正直笑い話にしか思っていない。

話を戻して。
二年生では修学旅行がある。
修学旅行のクラスの取りまとめをする係りを決められるのだが、通年でしなければならないことからなかなか決まらなかった。
そこで私は何を思ったか、この係りになれば旅行を制することが出来る!
と思ったので自ら進んでなった。
しかし、だいたいこういう係りというのは二人一組なんだが。
もう一人がどうしても決まらない。
仕方が無いのでその日欠席していたあの彼女を放り込んだクラスメイトたち…。
もちろん、彼女は私を恐れていたのか一切係りの仕事をしなかった。
おろか私と口すら利かない。
それってちょっとおかしくない?
よほど胸ぐらつかまれたのが怖かったか?
それとも、二年に進級してから悪口をはじめていたのでまた胸ぐらつかまれるのが怖かったか?
そう、私は進級後の彼女の言う悪口も聞き捨て続けていた。
一学期ももう終わりに差し掛かった頃、これじゃあ何のために二人なのかもさっぱりだという事で、そのとき仲がよくなった子が彼女の意思の確認もせず係りを変わった。

この時、すでに悪者は当のご本人に摩り替わり、クラスメイトから反対に悪口を言われるようになっていたのは彼女の方だった。
もちろん、私は悪口は言わずに居た。
しかしだ。
彼女は以前にもまして私のことをどんどん悪く言うようになり…。
切れた私は彼女の机を毎朝廊下に放り出し。
元通り持ち込んでも一歩でも席を離れたら今度は教室の後ろに放り投げ。
カバンも窓から外に投げ捨てたし、サブバッグの中身なんかもわざわざ出して階段にぶちまけてやったり。
学期変わったのか上履きを変えていて。
真っ白な上履きに名前を書いていなかったのでカラフルな油性ペンで美しい文字とデザインでデコラティブに装飾して渡してやったり。
最後、担任が恐る恐る私に言った。
そろそろこのくらいで勘弁してやったら?
このことは私と彼女のトラブルであって他の人間は関係ない。彼女がきちんと私に再度謝罪すれば一連の行為は止める。
そう、職員室で大きな声で叫んだ。
学校はこれ以降仲裁に入れなくなった。
つか、入れなくしたんだな、私が。
そしてこのときの担任が、生徒に向かってまず一言めがバカと口走るクセの持ち主で。
あるとき私は言ってしまったのだ。
あんたいつも生徒に向かってバカバカ事あるごとに言うけど、そんな言葉が出てくるあんたが、生徒バカ呼ばわりする程えらいわけ?
以来この教師は胃痛持ちになった。
国語の教師なのに言葉選び軽率だよ(笑)
教師の仲裁で事が収まらないことが明確になった時点で、彼女は学校に来なくなった。
そのことで私にももちろん通達があったが、私自身も改めて教師にこれまでの彼女の中傷発言の話を話た。
そして、彼女が行動を改め謝罪しない限り継続してこの行動をとり続けると宣言。
困るならクラスを変えるなり保健室通学にでもするがいいと私は言い放ってやった。
担任は、それ以上私に何も言わなかった。

ちなみに当時影で中学時代の一連の事件を垣間見ていた連中が私に言った。
**ちゃん、中学の時のこと学校に向けて逆襲してるにしか見えないよ。
そう見られてもいいよ。
私は返事をしている。

さてその後修学旅行の係りの話で。
例の不良グループが面倒がってクラス内の相談の時に来ない。
班は5人からで、グレちゃん4人組と私の友達が4人でどうしようかと。
私たちはバラけてもいいのだけど、どこか入れてくれる?と回ってみたがやはりこれがなかなかね。
どうするべか~って事でいちおう交渉としてグレ組に8人にして勝手に別行動はどうかと提案してみたがやはりまとまらない。
で、思いついたのが登校拒否になったあの子。
おぉ、ちょうどいいや。こいつの名前こっちに入れようぜ。
グレちゃん4人は先生に言って無理やりOKしてもらいなー。
ここから私は正直言おう、暴走した。
ホテルの部屋割りで二人部屋に4人を放り込んだり。
旅館の部屋割りで離れ小島の一番遠くて狭い部屋に決めたり。
もちろん、5人で班申請していても、部屋割りなんて頭数に入れていない。
新幹線の席も連中4人だけ飛び席に入れたり。
ガンガンやらせてもらった。
爽快だったね。
ちなみにこの連中旅行中にも事件を起こしたらしくみんなから冷ややかな視線を送られていた。

暴走修学旅行が終わり、三年生では比較的静かだった。
三年生では、進学上の授業編成さえ都合が付けば、基本的に中のよう連中を固めるクラス編成にされていた。
苦楽をともにした一番仲の良かった子とは進学方向が違うので一緒のクラスにはならなかったが。
他の親しくしていた連中が私立短大コースのクラスで。
私は私立四大コースなものの受験の修項目に制限等が無かったためにそちら短大コースに放り込まれていた。

受験では一番校内先発推薦入試。
先発の先発で、私の受験日が誰よりも一番だった。
で。
合格。
その後学校では全てが自習になっていたので、私はもう遊ぶしか他にすることがない。
毎日毎日学校でマンガを読みふけり、教室の後ろで遊びうたた寝、ゲームボーイ(まだスリムも無ければカラーでもないぞ・笑)でテトリスに興じ。
ラストは自主登校の時期が訪れ、颯爽と登校拒否に転じて自動車学校に入校し。
爪は伸ばしてギラギラ、ソバージュ(じ、時代が…!)あてて森田童子寸前だし(笑)

受験で神経が高ぶっていた連中が言ったのは。

最後の最後で**ちゃんは学年の連中に最高の逆襲をしたね。
それで結構!

卒業後、いじめの筆頭だった教師が謝罪に家を訪れた。
流したつもりではいるけれど、卒業後私はあの6年過ごした学校に近寄れない。
数年前に、専門学校で母校に宣伝に行けといわれて行った。
帰りに手が震えていて、足が震えていて、何よりボロボロと涙が流れ、バスの中で一人泣いた。
あれだけのことをしたのは、結局強がりの塊でなせた技だった。

母とテレビや新聞を眺めつつ。
数日報道中のいじめ自殺問題、***の先生の内誰か、**ちゃんの事思い出してる人いるだろうね。
だよね~。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メール
URL
コメント
文字色
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret
  • 「ガラスの十代」HOYAガラスって感じだね。
スタジオ阿茶 2006/10/19(Thu)08:25:11 編集
 もう読んでて痛快・爽快ですね。

 私は知覚障害の子を虐めてたんだー。弱い子は虐めてもいい、みたいな親に育てられ虐待されてたせいだね。その子は今も元気で暮らしてる。笑顔が明るい分、私は後ろめたい。

 社会に出てからはないけど、この歯に衣着せぬ横暴さに何度無視されたことか。でも高校が工業科だったんで、課題に忙しく、トラブル後回しだったから救われてた。普通高に行ってる自分を想像出来ないよ。

 ああ、社会に出てからあったよ、ムカつくことが。上司にね。派遣だったから契約期限待たずに即日解雇はいっぱい経験済みよ。高卒女子の技術者ってめずらしかったから。

 解雇言い渡されて、私が毎回したことは、作ったCADデータを滅茶苦茶なものにして、マトモなものはひとつ残しておくんだけど、パスワード設定をいじくって誰にも伝えず、二度と開けない状態にしておくの。そのパスワードも、(今はわからないけど)端末自体がクラッシュするような危険文字列で設定。(ちなみにN自動車はZZZとXXXだった)

 中学の頃は、私の友人が虐められてて、その仕返しをしたわねー。うちの中学ド田舎だし、私「出来る子」だったし、私が卑怯な真似するはずがないって先生が、今テレビのニュースに出てくる職員みたいに答えてた。
  • そうそ
2006/10/20(Fri)07:21:05 編集
社会からの事もイロイロあるにはあったけど、就学時代に比べるとまだ恵まれていたかも。なんて今は少し思ったりして。
こいうい気持ちの感じ方や持ち方ってみんなそれぞれ違うから。
後々はこういう体験や気持ちってみんな胸に収めてしまうのかも。
やっぱり吐き出したい、と思ったら大学の頃のことや社会に出てからのこともここで吠えるかも(笑
  • ABOUT
甘いお茶には毒が盛られているかも知れません。  なんてね。  女には毒がある。  お気をつけあそばせ。
Copyright © 甘いお茶 All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]